私の思い

小林麻央さんが亡くなられたこと。

実は、私にとってかなりショックな出来事だった。

少しずつ痩せていってしまう彼女の写真を拝見しながら、「あぁ、もうすぐこの人は逝ってしまうかもしれない。。。」、失礼ながら、そう心寂しく思ってた。

 

ステージ4の癌には、勝てない。

頑張っても頑張っても、勝てない・・・。

 

父が亡くなった時、悔しいけれどそう思った。

打つ手が無くなったらもう無理なんだと、体を蝕んでいく病気の怖さを思い知った。

市川海老蔵さんのブログを、私は毎日拝見している。

一日に何度も更新されるので、一日に何度も伺う。

今日の記事の中に、何度も更新することを許して下さいと書いてあったのを見て、「好きなだけ思いを言葉にしていいのに。誰に遠慮することもないのに。」そう思った。

何度更新したって、どんな内容を書いたって自由。

それが、自分のブログだから。

 

 私は、この病気のせいではなく、この世から消えてしまいたいと思う時がある。

もう何も感じたくない。

もう十分。

もういい。

そんな、自分の一生を終わらせたいという考えが心の片隅にあるのを自分で認識してる。

 

でも、もし、本当に私がこの世から消えたら。

 

 まず真っ先に思い描くのは、息子たちの泣き顔。

そして、次に母の精神が崩壊していく姿。

 

両親が揃っていて、「おかえり」と「ただいま」の言葉が交差する温かい家庭の中で、そんなことが当たり前だと思える環境で、私はあの子たちを育ててあげたかった。

普通の、本当に普通の家庭で。

そう思って、育ててきた。

でも、苦しい時もそれだけを願い育ててきたとしても、その後に母親が自死してしまったら、結局、あの子たちは普通の家庭で育ったことにはならなくなってしまう。

大きな傷を、心の中に作ってしまうことになる。

 

母親の錯乱する姿も、容易に想像が出来る。

年老いた母に、自死した娘の姿を見せることほど親不孝なことはない。

もし私が母の立場だったら。

そんなこと、想像するだけで息が苦しくなる。

悲しすぎて、辛すぎて、こうして書いていても涙が溢れる。

 

私が消える選択をしないのは、それが実行出来ないのは、息子たちと母のことを考えて・・・それしかない。

不思議とパパのことは考えない。

パパは、私がいなくなっても大丈夫のような気がするから。

何故か、そう思ってしまう。

 

人が本当に自ら命を絶つ時は、こんな風に誰かの悲しみを考える余裕などない筈。

ということは、私はまだ大丈夫なんだと、まだ生きていけるんだと気付く。

悲しむ人がいるから、その大切な人の人生に自分の死を刻みたくないから、死ねない。

そう思える間は、きっと、大丈夫なんだと思う。

 

もういい。

 

そう思いながらでも、笑顔で生きていく。

今はまだ、生きていないといけない。

でも、そんなこと思ってたら、いつまでたっても逝けない。

 

それが、今は辛い。

 

生きたくても生きられなかった麻央さんのことを思うと、こんな自分の考えが本当に申し訳なく思う。

生きることを諦めないで、頑張って頑張って生き抜いた彼女のことを思うと、尊い命に対する自分の失礼な思考に、自分でも嫌気がさす。

 

それでも、「もういい」という思いが、私の中から消えることは無い。

 

青木ヶ原の樹海。

ここ数日、よく検索してる。

でも、今日は見ない。

 

今日は見ないって、決めたんだ。

 

f:id:sugixxhiro:20170130031047j:plain

 

にほんブログ村 病気ブログ 掌蹠膿疱症へ
ランキングに参加してます